【なんでもコラム】喜志日記(Part 1)《くだらない4つの覚悟編》
こんにちは😗DANCE COMPANY みやか組の代表みやかです。今日から少しのあいだ、取り留めのなーい自分語りをはじめます。
それは、大阪芸大を目指し、大阪芸大で過ごし、大阪芸大で学び、苦しみ、成長し、1人のダンサーとしてどうにかこうにか生きていくことの出来るようになった筆者が、芸大で過ごした6年間の日々を覚えていることだけ赤裸々に語る、なんでもない日記です。学校に関係の無いことまで盛りだくさんです🤣。
喜志日記とでも名付けましょう。
残念ながら、紀貫之のように文才はございませんが😂。
硯ではなくiPadに向かひてですが。(これは徒然草🤣)
↑18歳のときの筆者です。全体的に若い、にきびちゃんと眉毛の細さが気になります🧐
大阪芸大(大阪芸術大学)は、大阪府南河内郡河南町東山という所にあります。
駅でいうと【喜志駅】という場所です。
天王寺駅から30分もかかる場所で、片道490円もする。はっきり言って大都市のある大阪府と思えないぐらいの田舎です。その証拠に、信じられないぐらいでかい虫を何度も発見したことがあります。
そんな場所に、その当時は実家から通っていました。
筆者の実家は兵庫県の三田市。有名な市でないので補足すると、神戸市の真上、山側にあるところです。
神戸?なら都会なの?いえいえ、うちの実家の最寄り駅からは徒歩40分です✌️驚き桃の木山椒の木。
とにかく、筆者は学部の4年間、電車を4回乗り継いで毎日往復5時間の距離を通っていました。
初めの1年は辛かったです。
朝5時に起きて、授業終わりまっすぐ帰っても家に着くのは午後9時前。
しかし基本的にまっすぐ帰れることはゼロに等しく、放課後に練習があったり、レッスン、もちろん友だちと遊んだりもあったけど、日が変わるギリギリに家に着く生活が主でした。
睡眠時間を削っての登下校に、ふと帰り道ポロリと涙が出たこともありました。💧
入学してから半年、あまりにキツかったので、ついに親に「お金は自分で何とかするから、一人暮らしをさせてくれ」と打診。
あっさり却下。
もしくは、大学の近くの女子寮にじゃないと許さないとのことでした(筆者は一人っ子なのである)。
大阪芸大は喜志駅という辺境の地から、さらに40分も歩いたところにあります。(芸大生は普段バスで移動する)
当時、大阪の梅田付近での活動が多かった筆者からすると、夜はバスも出てないのにどうやって生活するのだと思いました。三田市の実家と不便さは変わらないのに、一人暮らしのお金だけはかかる。まるでメリットを感じられません。
私はその日、学部の4年間を実家から通う覚悟を決めたのです。
ある日、線路の修復工事で、いつも使用している近鉄の南大阪線が1日中使えないことがありました。学校からもいくつか迂回ルートの提案をされ…
田舎者の筆者は困り果て、Twitter(現X)にその旨を投稿。
すると、1人の芸大生だという方が連絡をくれました。明日、天王寺から一緒に行こう、案内するよと。筆者はありがたく彼の指示にしたがうことに。
天王寺で出会った彼は、身長が低く、色白で、メガネをかけた男でした。筆者は以前の傾向からも察するに、こういう見た目の男がタイプなようであります。芸大に入学し、初めてできた彼氏は音楽学科のピアノが上手い学生でした。
女子高出身の筆者は、学校に恋人がいるという状況にすっかりと浮かれ、彼の授業や筆者の授業が終わるのを待ちあって映画に行ったり、スタバやタピオカ、ファストフード店に寄って帰ったりと花の学生生活を満喫していました。
そんな中、事件は天王寺のマクドナルドでおきたのです。
なにか怪しいとは以前から思っていましたが、ジャズ研究会の女としつこく連絡を取りあっていることがバレたメガネの彼は、筆者に逆ギレをかましてきやがりました。
筆者はその逆ギレの10倍返しで浮気メガネにキレ散らかしました。
満席のマクドナルドで、中国のパンダのように珍しい存在になってしまった筆者は、逃げるように店を出ようとしましたが、浮気メガネはフライドポテトのLを頼んでしまったことが仇となり、最後までポテトをお食べになっていました。
私はその日、芸大で恋人は決して作らないと覚悟を決めたのです。
※音楽学科、ジャズ研、マクドナルド、ポテトを批判する意図はありません。
またまたある日、いつも通り大学に通うためにJRの電車に乗っていたところ、トンネルで列車が緊急停止をしました。
暗く、少し傾いた車内で、そのまま1時間。
不安がっていたところアナウンスがあり、「地震が起きたため次の情報を待っている」というようなことでした。
これが、かの有名な2018年6月18日7時58分に起きた「大阪北部地震」であります。
結局その後も電車は動かず、電波もあまり通じない中、暗いトンネル内でただずっと待っていました。
やっとアナウンスがあり、「近くの駅まで避難する」とのこと。しかし、電車は動かないのです。結局筆者達は、列車から垂らされたハシゴを降り、暗いトンネルの中を携帯のフラッシュライトのみで数百メートル歩きました。とても貴重な経験だったため、その時のことはかなり印象に残っています。

↑実際の写真
駅まで迎えに来てもらい、何とか帰れたことは不幸中の幸いで、筆者よりもう少し早く家を出た友人は、1日経っても都心から帰ることができませんでした。
帰路に着いてから大学、高校の時の友人などに急いで連絡を送りました。家の窓ガラスが割れて、手を怪我した友人もいました。逆に、遠方の友人から筆者の安否を確認するような連絡を、数件もらいました。
私はこの日、連絡を取りあった人を必ず大切にするという覚悟を決めたのです。
そして、人は自然には勝てないこと、エッセンシャルワーカー(社会生活を維持するために必要不可欠な職種に従事する人)への感謝、こんな今だからこそ我々ダンサーができることは何か、そんな気づきも手に入れました。
大学に入学してスグから、筆者はある事に悩んでいました。
いつも2時間目に間に合うための電車に乗るときには、乗り換えが1つ多くなるのです。路線の関係で、JRの尼崎駅から大阪駅、その6分間のみ違う電車に乗り換えて行かなければなりません。
ちなみに、悩みとは乗り換えが多くなることではありません。
尼崎駅の乗り換え時に、ある男が筆者の後に付けてくるのです。初めは気のせいにしていました。しかし、だんだんとおかしさに気づいてくるのです。
何処の車両に乗り換えてもいつも同じ人が後をつけてくる、あげく、筆者の太ももやスカートに手の甲で触れてくることにも気づきました。
筆者はどちらかと言えばハッキリものを言うタイプです。外見も、ふわふわ癒し系♪とは残念ながらかけ離れています。しかし、その男のする事に声を上げることが出来ませんでした。
・間違えてたらどうしよう
・声を上げて、自分が悪者になったらどうしよう
・そもそもここで手間取ったら授業に出れなくなってしまう(今まで皆勤なのに!)
チカンをされた女性に「なぜ声をあげないんだ」という人がいるそうです。筆者はそんなことを言う人たちをランニングマンで踏み潰してやりたい。
言えないのです。静まり返った満員電車で「ヤメテ」と声を出すことは、かなり勇気がいることでしょう。通勤時間の列車の空気は殺伐としています。そんな中で、私のひと声で誰かが緊急停止ボタンを押したら??そのせいで会社に遅れる人が出て…会社に電話をするサラリーマンの視線の方が、この触られた太ももよりいたくて辛い。
私が我慢すれば。
そう、地獄の6分に耐え続けること実に半年間でした。
列車の時間を変えたり、ズボンにしたり…
けれど、列車を変えると、私が駅に来るまで待たれ、ズボンにしたら今度は上半身を手の甲で触られました。
卑劣、そんな一言です。
そんな日々は真夏のある日を境に終わりを告げました。いつも、大阪駅で犯人はサッと改札から抜け出てしまうのですが、その日だけ何故か筆者と同方面に行く列車のホームに居たのです。
3メートル前には憎い憎い犯人。
1メートル前には車掌さん。
…みやか、動きます。
女性の綺麗な車掌さんでした。
「すみません、私半年間もあの前にいる男にチカン被害を受けているんです。」
「分かりました、今から応援を呼びます。ちなみに、警察を呼んでも大丈夫ですか?」
「はい。お願いします。」
筆者が告げたその瞬間、体感で言うと1分以内??天王寺行きの列車が到達する前に、犯人は多くの大人たちに囲まれました。
あっという間でした。私の苦しんだ半年間はなんだったのでしょうか。
その後、犯人と筆者は事情聴取のため署に行くことになりました。
筆者は、すぐに大学と、大学の友達に連絡をしました。今から事情聴取だから学校に行けないんだと。でも、4時間目、5時間目のダンスの授業には何とか間に合いたいし、ずっと皆勤賞だから休みたくないんだと。
結局筆者はその日、事情聴取を4時間受けました。
ただ1回だけのチカンでなく、半年間となるとストーカー被害にも関わってくるためどうしても拘束時間が長くなってしまったようです。
犯人は容疑を否認しました。筆者は警察に、今着てる服をあまり擦らないように言われました。(否認が続くなら犯人の指紋を採取しなければならないため)
ふざけないでよ、こんな触られた服なんて今すぐに脱ぎたいよ。
結局、以前に筆者が犯人を後ろから盗撮した写真が2枚あったことなども功を奏し、犯人は捕まりました。そしてその時に、犯人の名前と年齢を聞きました。
22歳の既婚者で、最近娘さんが産まれたという男でした。
筆者は、4時間の事情聴取にヘトヘトになりながら学校に行きました。
芸大の教務に今回の旨を伝えて、電車の遅延と同じように授業を公欠扱いにしてくれないかと頼みましたが、答えはNOでした。ルールなので仕方ないですし、謝られましたが、悲しかったです。筆者が1年間で学校の授業に参加しなかったのは、この日だけだったのですから。
ちなみに、半年間被害を受けましたが、示談金など受け取れたお金は0円でした。そもそも示談になりませんでしたので。
5時間目の途中から授業に参加しましたが、教室に入った途端クラスメイトは筆者を大変心配してくれ、以前から被害を相談していた友人からはねぎらいの言葉を掛けてもらいました。
担当教員に遅れた事情を話していると、「何それ、そんな若い男の将来を潰して、悪い女やなー」と言われました。
胸の奥がつかえて、頭がぼぅっとしたのを覚えています。筆者は言葉が出ませんでした。代わりに他の学生が教員に、それは違うと怒ってくれました。
私はその日、世の中は理不尽であることを知り、NOを言える人間になる覚悟を決めたのです。
皆、忘れても筆者はこの日のことを忘れることは出来ません。
今日綴ったことは全て、筆者が大学生になってすぐの、初めの半年間の出来事です。覚えているインパクトのある出来事を記載しましたが、色々あったんだなぁと思い出すことが出来ました😂
どうしても、強く印象に残っていることといえば、ネガティブな経験が多くなってしまいがちですが、ネガティブには成長が付き物です。色んな経験が、色んな方面から物の見方ができるように教えてくれました。
気が向いた時に思い出しながら書こうかな。
じゃあね!
アイキャッチ引用:大阪芸術大学公式ホームページ
最後までご覧いただきありがとうございます💃
大阪でダンスといえば
\🩵みやか組🩵/
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